休学生日記 第2話「シャンバラというお祭り」

朝。
空の端っこからひっそりと太陽が昇ってきて、窓から光が差し込んでくる。
固まった体を起こしてコテージから外へと出る。
朝のツンとした匂いが心地いい。
空気はまだ冷たさを保ったまま透きとおっている。
遠くに見える高い山の稜線がより際立って見える。

木陰にある平たい石に腰をおろして、なにもせずにただ辺りを眺める。
時間が経つと木陰は高く昇った太陽にすっかり奪われ、ヒナタへと変わっていく。
ぼくはジリジリと照りつける日光を味方にするためにすぐそばを流れる小川へと移動する。
山の中で冷え切った冷水にカラダが触れるだけで猛暑が快感に変わる。
水が流れるチョロチョロとした音を聴いていると安楽のホルモンが分泌される気がする。

誰かが号令をかけるわけでもないのに、どこか同じ感覚を共有した人たちが輪を作っていく。
彼らは芝生の中に腰をおろし、静かに呼吸をするように自然と音を鳴らしはじめる。
ギター、ジャンベカホン口琴アサラトディジュリドゥ
世界中の音があわさって、そこにしかない新しい音がつくられていく。
即興でうまれた刹那のハーモニーが響きわたる。
楽器も演奏者も、音楽を構成する小さなパーツの一つだと気付く。
音楽はやっぱり偉大だ。

食べものは生きていくのに最低限の量だけを摂取する。
ひと口飲み込むごとに自分の胃の具合を確認する。
カラダが満足するために必要な量は想像以上に少ないことに気付く。
自分のカラダのはずなのに知らないことがいっぱいある。

夜になると小さなステージは色とりどりにライトアップされる。
洗練されたアーティストたちが心地よい演奏を披露してくれる。
自然と音楽、そしてビール。相性はこの上なく抜群だ。

夜が深くなるにつれて気温はどんどん低くなっていく。
1日中外にいるおかげで変化の模様が手にとるようにわかる。
気温の低下に対抗するように、木を組んで火を炊く。
豆粒のようだった種火は瞬く間に大火へと成長する。

カラダが眠気を覚えだしたらコテージに戻る。
1日の心地よさをもう一度思い出しているうちにいつのまにか眠ってしまう。

そしてまた、太陽に起こされる。
ーーー

タイで開かれたシャンバラ祭り。
ぼくはそこで「自然回帰」の意味を知った。
10日間にもおよぶお祭りの期間は、ぼくに自然の中で生きる尊さと楽しさを思い知らせるには十分だった。
シンプルな生き方への入り口が開かれた時間でもあった。

このお祭りは誰も知らないようなタイの北部の山奥で開催されていた。
主催者は日本人。参加している人も7割くらいは日本人。(残りはタイ人と西洋人)
だけどそこにいる日本人はぼくが出会った事のないタイプの日本人だった。
彼らはタイの小さな村パーイや徳島県神山町をはじめ色々なところから集まっていた。
自然のなかで生き、自然を愛していることが彼らの共通点だ。
彼らのうちの何人かは各地でコミューンをつくって生活していた。
文明社会にはなるべく近づかず、可能なかぎり自給自足。
なにを食べるか。どこに住むか。なにを着るか。だれと暮らすか。
人間が生きる上で必要なモノ一つ一つに、じっくりと吟味を重ねているようだった。
そこに「なんとなく」は存在しない。

彼らとのふれあいは、衝撃的だった。
自分が人生のなかで経験してきたあらゆることについて、いかに無自覚・無意識であったかを思い知らされた。
日々繰り返す自分の行動の一つ一つを当たり前だと認識して、疑問なんて一切抱かなかった。
いや、むしろ「当たり前である」という認識もなかった。
ただ周りに取り巻くものに流されていただけだった。
常識だったり教育だったりメディアだったり。
自分がただ流されているだけの漂流物であることに気づくことさえできず、逆に自己選択をしているという錯覚にさえ陥っていた。

シャンバラ祭りでまったく違った、それまで見たことがなかった生き方や考え方に出会ったことでぼくは自分自身を見直した。
新しい人生観がぼくのなかに備わった。
心から参加してよかったお祭りだ。
ーーー

急にシャンバラ祭りへと話は飛んだけど、旅のはじまりは香港だった。
香港行きを決めた理由の一つは航空券の安さだった。
8000円くらいだった気がする。
LCCがある時代にうまれて本当に良かったと思った。
でもどこでもドアがある時代だったらもっとよかった。

行き先は正直どこでもよかった。
ただ見たことないものを見たかった。

香港はごちゃごちゃしているのかキチッとしているのかわからない国だった。
空港から街へ向かうバスはとても綺麗でキチッとしていた。
バスから降りて目の前に広がった街並みは汚くてごちゃごちゃしていた。
建物はぜんぶ同じ形で並んでいてキチッとしていた。
建物の中はゴミが散らかっててごちゃごちゃしていた。

100万ドルの夜景を見に行ったけど、白い霧がかかっていた。
空気がとても汚れているせいだった。
そういえば、日本の夜景は綺麗に見える。
空気は比較的クリアなのかもしれない。
でも輝いているのは残業のかがやきだ。
ブラックであればあるほど明るい。
皮肉なもんだなぁといつも思う。

香港には数日しか滞在しなかった。
思ったより物価も高いし、あまりワクワクすることはなさそうだった。

香港からはタイに飛んだ。8000円くらいだった。
どこでもドアがあればいいのにと思った。

タイに入った後はラオスで友人と待ち合わせを予定していた。
「世界のどこかで待ち合わせ」が合言葉だった。
ラオスで合流したあとは中国に入って、そのあとインドに行く予定をしていた。
インドのホーリーと呼ばれるお祭りをバラナシという町で皆で集まって楽しもうという算段だった。
ラオスで合流した友達に加えバラナシでもさらに多くの友達と合流するのだ。
そこでも「世界のどこかで待ち合わせ」がやっぱり合言葉だった。
ラオスで会う予定の友達もインドでさらに集合する予定の友達も、もともとは旅が好きであることがキッカケで出会った。
要するに旅仲間だ。

インドに入国するには事前にビザの取得が必要だった。
たいていは日本でビザを手に入れるけど、ぼくはタイで取得することにした。
ビザを申請してから取得するまでは大体1週間程度必要だった。
パスポートを預けるからその間はほかの国に進むことはできない。

だからぼくはその間を埋めるにはもってこいだと思いシャンバラ祭りに参加したのだった。
タイに着くまではシャンバラ祭りなんて存在さえも知らなかった。
たまたま同じ宿に居合わせた人に教えてもらったのだ。
タイミングも偶然にピタリと合い、なんだかシャンバラ祭りに呼ばれている気がした。

祭りに参加したあと、ぼくは心から痛感した。
やっぱり呼ばれていたんだ。

「たまたま」が折り重なって、人生に必要だったモノと遭遇する。
それはあまりに神秘的に聞こえかもしれない。

だけどぼくはこの巡り合わせの魅力に、心からワクワクした。

 

休学生日記 第1話 「なんで大学休むねん」

ぼくは大学を休学した。

大学なんて辞めちゃおうかとも思ったけど、とりあえず1年間いろんなことをしながら考えてみようかと。大学を続けるかどうかは1年後に決めればいい。とりあえずこの期間は「おもしろそう」なことに全力でつっぱしろうと。

2013年の春に大学1年生を終え休学生活に入ったぼくは、フタを開ければ2年間も休学することになる。

この休学生日記は、その2年間にぼくに起こったあんなことやこんなことの物語でございます。

 


ー2013年1月

 

大学1年生の冬。ぼくは休学の手続きをするために大学の事務室へ行った。「休学したいです」と伝えると係の人に休学届なるものを渡された。この紙を記入し提出しなさい、と。休学届には「休学する理由」を記入する箇所があって、いくつかの選択肢が設けられていた。

 

病気・怪我の療養のため、家庭事情によるため、留学、その他(    )

 

ぼくはその他に丸をした。カッコの中には何も書かなかった。書き終えた書類を提出すると、奥の別室に移動させられた。担当のおじさんと机に向き合って「なぜ休学するのか」について詳しく追及された。まるで取り調べをするみたいに。

 

最初にも書いたけど、ぼくが休学する理由は2つあった。

1つ目は「おもしろい」と思うことにつっぱしりたかった。とくにぼくは外国をみたかった。当時のぼくにとって「おもしろい」と思うことの圧倒的な第1位は外国をみることだった。17歳のときに初めてタイにひとり旅をしてから、日本とは違う非日常的な世界の虜になっていた。

 

2つ目は大学があまりにも退屈だったから。入学前は大学生活にワクワクしていた。近しい友だちには意外がられるかもしれないけど、俗に言うキラキラのキャンパスライフに期待を抱いていたのではない。心の底から大学での「学び」にワクワクしていた。

だけど実際は、授業に出たって8割くらいは退屈だった。ぼくをはじめ学生が退屈そうな態度をとるから、先生も負けじと退屈な授業をしているようだった。通学時間に本を読んでいるほうが有意義だったし、授業中もずっと本を読んでた。ただただ単位をこなして進級することは簡単だったけど、何のために進級・卒業しなければいけないのか。ピンとくる答えを見つけられなかった。

だから最初は「やめよう」と思った。だけど踏ん切りをつけるには至らなかった。なぜなら、ぼくはまだ大学というものに期待していた。入学前に抱いたワクワクした思い。その思いを実らせるモノがどこかに潜んでいるのではと諦めきれなかった。それにくわえて、退屈に感じるのは自分のレベルがあまりにも低いからかもしれないとも思っていた。もっと成長した自分ならこの退屈な大学生活を、まったく別の角度から楽しむことができるかもしれない。悪いのは低レベルな自分なのだ。

 

だからぼくは、おもしろい経験をとおして圧倒的な成長をしたかった。休学という制度で時間をたっぷりとゲットすることで。そしてもし希望をすれば大学に戻ることができる。そういう状況を選んだ。

 


ところが、「なぜ休学するのか」という事務員のおじさんの取り調べに対して、ぼくはここに書いたこと説明していない。

しなかったのではない。できなかった。自分の中でこの思いはあったことは確かだけど、もっとモヤモヤとしていて頭の中を渦巻く煙のようなものだった。

 

結局、事務員のおじさんには「オーストラリアでワーホリをする」ということで押し通した。知っている人も多いと思うけど、ワーホリとはワーキングホリデーのこと。日本が協定を結んでいるいくつかの対象国において、仕事をしたり学校に行ったりすることができる。しかも基本的に1年間滞在可能だから、海外に長く滞在するにはもってこいの制度。語学留学する人もいるし、ひたすら働く人もいるし、ただただのんびりと過ごす人もいる。要は自由になんでもできる。

実際に休学当初の予定は、まずはアジア諸国を旅してからオーストラリアでワーホリをするつもりでいた。だけどべつに現地の学校に行くつもりはなかったから、留学ではない。 現地で働いて海外で生活する、ということをしたかった。アジア諸国の旅は、ぼくの中では楽しみでもあり学びの一環であったけど、結局はただの旅行だ。だからアジアの旅のことは言わなかった。「旅行のために休学する」とは言えない雰囲気を、おじさんがビンビン醸し出していたから。まあ今考えると休学する理由なんてこっちの勝手やん、と思うし言っても問題なかったような気もするけど。とにもかくにも「オーストラリアでワーホリをする」「海外で生活がしたい」ということで大学には話が通った。

 

この休学届を提出した帰り道は、どこかとても清々しかった気分だったのを覚えている。

大学を休むことが決まったその日が、大学に入って1番期待に胸を膨らませた日になった。

 

大学の手続き上、休学のはじまりは新年度である4月から。だけど、大学生にはその前の2月からながーい春休みがある。だから実質的には2月から休みだ。

 

休学届を提出してから1ヶ月後。

2013年2月からぼくの休学生活ははじまった。

 

インドのクセと納豆のクセ

インドって国とは、一言で言えば「納豆」なんです。

まずね、街中がね、臭いの。

なんってったってそこら辺に野良牛がノソノソと歩いてる。

日本で鳩がいるテンションで牛がいる。

臭い理由はね、やつらのウンコちゃんです。

のっけから汚い話ですみません。でも事実なのよ。

日本でも鳩のフン見かけますよね。運悪く頭に落とされちゃったり。

でも鳩のフンなんて可愛いもんですよ。

頭に落ちてきても「ポトン」って感じでしょ。

もし牛のフンが頭に落ちてきたら「ズドンッッッ」ですからね。

ヘタすれば首ごと持っていかれますよ。

まぁそんな彼らのフンが町中に転がってるわけですから、臭くもなりますわ。

そんな中どこのレストランもカレーしか売ってませんからね。

なかなか素敵な国ですよね。

 


あとインド人ってね、とても「しつこい」人が多いんです。

そう、納豆のネバネバみたいな人たち。

例えば、

『このブレスレットどうだ、かっこいいだろ』

「いらない」

『あれだろ、色が気にいらないんだろ、ほら別の色もこんなにあるぜ』

「いらない」

 『おいおい、たったの△ルピーだぜ?』

「いらない」

『しかもこれにはな、ヒンデューの神の力がこもってるんだ』

「いらない」

『わかった、じゃあこの木彫りのガネーシャはどうだ! 』

しつこいよね。鋼のメンタルだよね。

こんなやりとりを10分以上続けて、ようやく立ち去ったと思ったら

また別のヤツが来たりするからね。

いや、さっきのやりとり見えとったやろオッさん。

あんなに断り続けてたのに、なんで同じ物売りにくるねん。

どこに勝算があると思ってん。

ほんと、まさに納豆のネバネバ的しつこさですね。

 


こんな国だからインドのことを好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる。

好きと嫌いに分かれるというより、「大」好きと「大」嫌いに分かれる。

これまた納豆みたい。

「嫌い」になる理由は分かりやすいですね。一目瞭然。

「好き」のほうがちょっと奇妙ですよね。

じつは「好き」な人ってのはね、そんなインドのクセにはまってしまってるの。

めっちゃ臭いし、いちいちしつこいのに

なんだか無性に欲しくなっちゃうの。

ほんと納豆。

病みつきになったら止まらない。

そんなこんなで僕は4回もインドに行きました。

多分また行きます。

 


食わず嫌いせずに、皆さんもぜひどうですか?

ふっくらモチモチの、人生のお供に。

つづけること。やめること。 -お仕事やめます

サラリーマンの仕事を辞めて、山小屋で働くと言ったら、

「いいやん」と彼は言ってくれた。

 

日本社会を基準にすると、この行動はけっして「いいやん」ではない。

将来のこと考えてんのか。我慢して続けろよ。

実際に何人かにはこう言われた。

 

将来のこと、もちろん考えている。考えていないと思ったのかと、逆に聞きたい。

自分の将来のことなんて、自分が一番考えているだろう。

あなただって。

 

我慢して続ける。

なぜ続けることだけが正解なのか。

なぜやめることだけが否定されるのか。

もちろん一つのことを続けることで見えてくるもの、身につくものもたくさんある。

継続は力なりという言葉も本当だと思う。

でも、それだけじゃないだろう。

よっぽどの怠惰ではない限り、やめることは新しいことを始めることだ。

新しくはじめたことによって見えてくるものがたくさんある。

 

続けることで見えてくるものと、やめることで見えてくるもの。

どちらも考えて行動を決めればいいのに、

どうも「やめる」のほうにだけ、否定的な人たちが多いような気がする。

 

やめるには勇気がいる。環境を変えるには決心がいる。

 

続けるには我慢がいる。だけど、惰性でも勝手に続く。

 

 

けっきょく何が言いたいかというと、

やめるって言って「いいやん」って

言ってくれるともだちがいるって素敵だってこと。

 

 

ということで、来週から北アルプスに移住します。

あの日のつれづれ

どちらかと言えば、海より山が好きだ。

山のほうが落ち着くし居心地がいい。

BBQするなら砂浜より川辺でやりたいし、山の日が制定されたときは妙に心が踊った。

たぶん前世は山奥で竹でも刈ってたんだと思う。

 

そのくせダイビングのライセンスは持ってる。

しかも1番初級のやつじゃなくてその次のレベルのやつ。エジプトで取った。

別に取るつもりは無かったけど、そのときダイビングのライセンスを取るくらいしかやることがなかったから取った。

エジプトにはダハブっていう人間をダメにする街がある。世界にいくつかある堕落の神に愛された街のひとつだと思う。

あとはネパールのポカラとか、インドのマナリーとか、タイのパーイとか。

 

そしてまた別の、新たな楽園を見つけた。

べつに大きくも小さくもない微妙なサイズの島。

ぼくは今その島でビールを飲みながらボーッと海を眺めてる。

あれっお前ふつうに海好きやん、とか思われるかもしれない。

自分でもまぁ海も悪くないやん、という思いが芽生えてきている。

でもここが特別なんだと思う。

海というより、この島と、島に住まう人たちの空気が心地いいのだ。

 

この島に来てから、ぼくはテントの中で寝泊まりしている。

日が昇るとテントの中は燃えるように暑くなる。おかけで毎日規則正しく早起きできる。

でも早く起きたからといって特になにをするわけでもない。

ハンモックに寝そべって読みかけの小説を読んだり、上半身裸でアコギをポロポロ弾いたりする。

昼ごろになると近くに住んでる漁師のオッさんが漁から帰ってくる。ぼくは何気なく彼のところに遊びにいく。

そこで市場に売らないような小さな魚を安く売ってもらう。

調理法とかさばき方とかよく分からないから、とりあえず焼いて塩ふって火にかける。

そのあいだにはビールの栓が空いている。

魚が焼ける前にビール自体が空いている。

 

けっきょく何を言いたいんだっけ。
そうだ、アフリカには人体に卵を産み付ける虫がいるから気をつけてね。

僕はもちろん産み付けられたよ。

 

 

 

2015年2月 タンザニア ザンジバル島

バリでビールをのみながら

海外旅行の魅力、それを一言で言うならやはり「非日常」だろう。

いつもと違う国で、いつもと違う食べ物、匂い、言葉、雰囲気をあじわう。この「いつもと違う」をもとめてわざわざ高いおかねを払って、飛行機という密閉空間をのりこえて、海外旅行におもむくのだろう。

 

でも俗にいうバックパッカー的な長期旅行をひたすらくりかえしてると、旅に「非日常」を味わえなくなってしまう。

なんというか、旅がもうひとつの「日常」なのだ。

 

海外旅行にいくとき、ぼくの内側のどこかにあるスイッチが「日本モード」から「旅モード」に切り替わる。長期旅行をくりかえす以前はこの「旅モード」なんてスイッチはなかった。まずスイッチなんて発想がなかった。それがいつのまにか、おそらくは「慣れ」が「旅モード」なるスイッチをぼくの中につくりだした。

 

「旅モード」のぼくは、たいがいのことが起こってもまったく動じない。汚いものも平気。ナゾの言語もなんとやら。よく分からない食べ物も何ら気にとめることなく「ふーん、こうゆうの食べてるのか」くらい。例えるなら、セブンイレブンの新作のスイーツを食べて「こうゆう感じか」と思うのとおなじだ。

旅や海外での経験が浅く、「日本モード」しか持ちあわせていなかった頃のぼくは、身の回りのモノすべてに感動し、衝撃をうけ、うおーっと雄叫びをあげていた。

でも、いまは違う。そうはいかない。「旅モード」にシフトチェンジしたぼくはほとんど感動しない。衝撃なんていつから受けていないだろう。

 

この現状をポジティブにとらえると、ぼくは余裕ができた。今まで以上にどこにだっていけるし、物事を冷静にかつ客観的にみられる。一歩ふみこんだ深いところに介入できたりする。

 

でも、やっぱりいろんなコトに感動したい。何だここは!何だこの文化は!何だこの人たちは!

 

初心が大事だといろんな所で耳にしますが、やはりそうだと思います。

海外旅行には「非日常」を感じられるほうが楽しいとおもいます。

 

とはいえ、「旅モード」を手にした人たちだけがみられる世界も、とっても魅力的。

それがどういうのかってのは、またこんど。

 

 

おちつく騒音

東京と大阪のちがいは、やっぱりやかましさ。

大阪で「けっこう空いている」と思って喫茶店に入っても、聞こえてくる声のボリュームは凄まじい。

東京ではこんなことはない。人が多い新宿のスタバとかにいけば、それなりの喧騒になるけれど、ちいさい交差点の角にひっそりと佇む喫茶店なんてとっても静か。

理由はやっぱり声の大きさ。同じ客の数でも、圧倒的に大阪はうるさい。会話は早いし途切れない。ずっと2人のうちどちらかが何か話してる。いや、2人とも話していたりする。どっちかは聞けよ。それに大阪は1人でいる人も話していたりする。なにに対してかはわからない。ただブツブツと呪文のようなものを発している。そんな人たちは多くはないけれど、けっして珍しくもない。

どうしてこうも違うのだろう。今あるこの大阪らしさは、代々受けつがれたものだろうか。「やかましい」のなかで育ったこどもたちが、大人になって「やかましい」を作る側にまわる。こうやってグルグルグルグルと「やかましい」が伝えられていく。

だれが最初に、この「やかましい」の文化をつくったのだろうか。

 

なにはともあれ、このやかましさは、正直おちつく。騒音のはずなのに、おちつく。大阪らしさが心地よいのだろう。

 

この感覚、東京モンには分からへんやろな。