バリでビールをのみながら

海外旅行の魅力、それを一言で言うならやはり「非日常」だろう。

いつもと違う国で、いつもと違う食べ物、匂い、言葉、雰囲気をあじわう。この「いつもと違う」をもとめてわざわざ高いおかねを払って、飛行機という密閉空間をのりこえて、海外旅行におもむくのだろう。

 

でも俗にいうバックパッカー的な長期旅行をひたすらくりかえしてると、旅に「非日常」を味わえなくなってしまう。

なんというか、旅がもうひとつの「日常」なのだ。

 

海外旅行にいくとき、ぼくの内側のどこかにあるスイッチが「日本モード」から「旅モード」に切り替わる。長期旅行をくりかえす以前はこの「旅モード」なんてスイッチはなかった。まずスイッチなんて発想がなかった。それがいつのまにか、おそらくは「慣れ」が「旅モード」なるスイッチをぼくの中につくりだした。

 

「旅モード」のぼくは、たいがいのことが起こってもまったく動じない。汚いものも平気。ナゾの言語もなんとやら。よく分からない食べ物も何ら気にとめることなく「ふーん、こうゆうの食べてるのか」くらい。例えるなら、セブンイレブンの新作のスイーツを食べて「こうゆう感じか」と思うのとおなじだ。

旅や海外での経験が浅く、「日本モード」しか持ちあわせていなかった頃のぼくは、身の回りのモノすべてに感動し、衝撃をうけ、うおーっと雄叫びをあげていた。

でも、いまは違う。そうはいかない。「旅モード」にシフトチェンジしたぼくはほとんど感動しない。衝撃なんていつから受けていないだろう。

 

この現状をポジティブにとらえると、ぼくは余裕ができた。今まで以上にどこにだっていけるし、物事を冷静にかつ客観的にみられる。一歩ふみこんだ深いところに介入できたりする。

 

でも、やっぱりいろんなコトに感動したい。何だここは!何だこの文化は!何だこの人たちは!

 

初心が大事だといろんな所で耳にしますが、やはりそうだと思います。

海外旅行には「非日常」を感じられるほうが楽しいとおもいます。

 

とはいえ、「旅モード」を手にした人たちだけがみられる世界も、とっても魅力的。

それがどういうのかってのは、またこんど。

 

 

おちつく騒音

東京と大阪のちがいは、やっぱりやかましさ。

大阪で「けっこう空いている」と思って喫茶店に入っても、聞こえてくる声のボリュームは凄まじい。

東京ではこんなことはない。人が多い新宿のスタバとかにいけば、それなりの喧騒になるけれど、ちいさい交差点の角にひっそりと佇む喫茶店なんてとっても静か。

理由はやっぱり声の大きさ。同じ客の数でも、圧倒的に大阪はうるさい。会話は早いし途切れない。ずっと2人のうちどちらかが何か話してる。いや、2人とも話していたりする。どっちかは聞けよ。それに大阪は1人でいる人も話していたりする。なにに対してかはわからない。ただブツブツと呪文のようなものを発している。そんな人たちは多くはないけれど、けっして珍しくもない。

どうしてこうも違うのだろう。今あるこの大阪らしさは、代々受けつがれたものだろうか。「やかましい」のなかで育ったこどもたちが、大人になって「やかましい」を作る側にまわる。こうやってグルグルグルグルと「やかましい」が伝えられていく。

だれが最初に、この「やかましい」の文化をつくったのだろうか。

 

なにはともあれ、このやかましさは、正直おちつく。騒音のはずなのに、おちつく。大阪らしさが心地よいのだろう。

 

この感覚、東京モンには分からへんやろな。