14兆円持ってても80歳くらいで死ぬ

人は時計を中心に生活している。
窓がなく壁にある時計以外は時間を知る由がない、そんな部屋を想像してほしい。
時計が3を指していれば3時だと思うし、一周してまた3を示せば15時だと思うだろう。
そのように時計とともに時間の経過を知り1日という自分たち人間が定めた単位を実感する。

もちろん1日は地球の自転の1周分の時間だ。それを基準にしているのだからむしろ地球の自転の1周を24分割して分け、「1時間」という単位をつけたと表現する方が正しいのかもしれない。
また人間は時間の経過をさらに客観的に測るために、単位をさらに細かく刻んでいき、それぞれ「分」や「秒」などと区切っていった。
ただし、細かく区切られたものでさえ人間は時間を正確に測れない。例えば10秒というごく僅かな時間。それでさえも自力では正確に測ることができないのだ。
人間はそもそも時間の経過を測る能力を兼ね備えてない。
ましてや何時間経過したか、などを自力で計測することなどはあり得ない。
人間は過去を記憶という形で記録していくが、とある出来事から現在まで何日、もしくは何時間が経過したかを記憶のみを駆使して判断することができる人間は存在しない。
つまり「この世界はつい5分前にできた」という可能性を誰も否定できないの。

その後人間はさらに、より長い時間の経過を測る基準として、「年」という概念を創り出した。
太陽の周りを地球が1周するために必要な時間を区切りとし、日の365倍の時間の経過をもってようやく1(年)となる巨大な概念を構築したのだ。
つまり「日」と「時間」の1=24の関係性のように人間が無理矢理「年」を分割したのではなく、元々地球が太陽の周りを一周する間に365回自転していたのである。
自転を元にした「日」の基準と同じように自然の摂理に応じた素晴らしい定め方である。

つぎに、「年」を生み出した後の人間はカレンダーと呼ばれるものも作った。「日」と「年」の関係性を分かりやすいように図に表すためだ。ここで人間の知能において365という数字は管理するにはあまりにも大き過ぎるという問題が生じたため、新たに「月」という概念を作り出すことで問題を解決させた。

だがこの「月」の基準を決める際に、西の人間は太陽を元に基準を定め東の人間は夜になると浮かび上がる月を基準に定めた。
結果的に、太陽を基準に定めた西の人間たちは1年を12分割したものを1(月)とした。これまでも「日」は24時間=12×2、「時間」は60分=12×5であるなど時間の経過と12という数字に対して整合性のようなものを感じていた。
ただ1年を12で無理矢理分割したせいで1月に一定の日数を定めることが出来ず、30日の月や31日の月、ましてや28日の月があるなどちぐはぐなカレンダーが出来上がった。
この西の人間の考えた月の基準の概念も自然の摂理を到底無視した考え方である。
そのため、人間が本来内に持つ自然的秩序に狂いを生じさせる結果となる。

一方で、東の人間は月の満ち欠けを基準に「月」を定めた。
月が全く見えなくなる新月から満月を経てまた新月に変わる28日を1月とした。
そのため東の人間のカレンダーにおける1年は13ヶ月+1日(13×28日+1日)である。
こちらは月を元にした自然の摂理に適った基準である。
サンゴの産卵も28日が関係しているし人間の子孫繁栄に関する事柄においても28日は特別な意味を持つ。

そもそも「月」という呼称である単位にも関わらず西側は太陽を基準にした。(英語のMonthもMoonに由来する)このこと自体が矛盾しており、自然的秩序に悪影響を与える可能性があることを想像することもできたであろうに。
ただ西側の人間たちは別の部分で強大な力を持ったため、地球上を支配し自分たちの基準を押し付けた。
そのためほとんどの人類が本来基準にすべき東側のカレンダーではなく西側のカレンダーを元に現在も生活している。この事による何よりの問題は、人類は都市文明をつくり自然から離れた生活を営むせいで、自身の自然的秩序が崩壊寸前であることに気づいていないことである。
ちなみに「時間」や「分」、「秒」が自然の摂理ではなく東側のカレンダーのように無理矢理分割して定められたにも関わらず人間が平気である理由は、自然的秩序に影響を与えるには時間の経過としてあまりにも短すぎるからである。

人類が定めてきた「時間の基準」に話を戻そう。
「年」を生み出した当初、365日をもって1年という考え方はとても巨大な概念であると考えられた。にも関わらず、人間は持ち前の対応力を発揮し慣れを生じさせた。
そのせいで「気がつけばもうあれから5年経った」などとまるで刹那的にさえ感じてしまうようになったのだ。
ただしそうなってからしぶとさを発揮するのも人間というものである。

人間はさらに「世紀」という概念を考え出した。世紀は100年という途方にくれるほど長い時間をもって1(世紀)とされた。
つまり、「年」や「日」と同じように宇宙や太陽系などの自然との関わりに目を向けるのではなく、キリのいい数字というだけで1=100と定められたのである。
太陽系の先にはさらに大きな銀河があるのだから、そこから時間の概念となる単位を引用すればよいにも関わらず人間はその行為を放棄した。
「世紀」が考え出された当時は太陽系外のことを計測する技術がなかったからだという人もいるが、では「世紀」という概念は作り出すべきではなかったのだ。
人間は「年」よりも大きな単位を作り出すには早すぎた。
その証拠に人間はいまだに何十億年という表現を使う。地球が生まれてから45億年、などである。
本来なら大きな数字を言う場合はより大きな単位で言い表すものである。つまり地球が生まれてから4500世紀と表現するべきなのだ。
だが人は無意識で「年」を使う。
これは人間は宇宙との調和をもって考案された「年」を無意識のうちに快く受け入れ、無理矢理考案された「世紀」に対して不調和を感じているからである。
なぜなら人間自体が宇宙の一部であり、まだ人間の能力では視覚化できない宇宙の法則に従って世界の全てが成り立っているからである。

ただ人間は「宇宙の法則の視覚化」はできないものの「直感的に感じる」ことができる者は一部存在する。その直感的感覚は第6感と呼ばれる。
また第6感を持つ者たちは感じ取った「宇宙の法則」のことを「神」と呼び、それぞれが「預言者」と呼ばれた。

 

 

しらんけど。